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ワスマス () は、アメリカ海軍の駆逐艦、掃海駆逐艦。クレムソン級駆逐艦の1隻。艦名は、プロイセン王国からの移民でアメリカ海兵隊員となり、南北戦争で南軍の攻撃により戦死したにちなむ。'') は、アメリカ海軍の駆逐艦、掃海駆逐艦。クレムソン級駆逐艦の1隻。艦名は、プロイセン王国からの移民でアメリカ海兵隊員となり、南北戦争で南軍の攻撃により戦死したにちなむ。 ==艦歴== ===戦間期=== ワスマスはメア・アイランド海軍造船所で1919年8月12日に起工し、1920年9月15日に防衛隊司令R・H・デイヴィス海兵中佐の義理の娘であるガードルード・E・ベネット夫人によって進水、艦長W・P・ガディス中佐の指揮下1921年12月16日に就役する。なお、建造中の1920年7月17日にが制定され、DD-338 となった。 竣工後、ワスマスは1922年2月27日にメア・アイランドを出て整調航海を開始する。リッチモンドからサウサリートを経てメア・アイランドの間で航海を行ったあと3月14日に試験が終了し、航海で生じた不具合を洗い出すため入渠した。出渠後は5月1日にサンフランシスコを出港し、5月4日にサンペドロに到着して音響信号装置を取り付ける。間もなく戦艦に対する雷撃訓練に従事するため5月7日にサンペドロを出港し、サンディエゴに向かった。6月8日にサンペドロに戻ったあと、ワスマスは予備艦入りに向けた準備に入った。1922年7月26日、ワスマスは財政的な理由とワシントン海軍軍縮条約の影響によりサンディエゴで予備艦入りし、1920年代の残りの期間を予備艦として過ごすこととなった。8年後の1930年3月11日、ワスマスは艦長I・C・ソーウェル少佐の指揮下で再就役を果たし、以降の10年間はもっぱら訓練に明け暮れて戦術訓練や艦隊訓練に多く参加した。ワスマスは第2駆逐艦隊に加わり、西海岸やカリブ海で行動。1934年秋には短期間ながら第10予備部隊に編入される。 このころ、ファラガット級駆逐艦など新鋭の駆逐艦が整備されつつあり、第一次世界大戦中から大量に建造された従来の「平甲板」型駆逐艦は西海岸と東海岸の諸港に係留されたまま、淘汰されようとしていた。しかし、1930年代に入ってヨーロッパと極東の情勢が不穏になってくるに伴って海軍の規模が拡大されることとなり、特に航空戦と機雷戦に充当される艦船、例えば水上機母艦であるとか高速の掃海艇、機雷敷設艦が必要であると判断された。これに伴い、「平甲板」型駆逐艦のいくつかは他の艦種に転換されていった。ワスマスも1940年4月にハワイ水域で行動したあと、掃海駆逐艦に改装されることとなった。 ワスマスは1940年11月19日付で DMS-15 に再分類された。真珠湾の海軍工廠で改装工事を受け、掃海具と爆雷、4門の砲、50口径機銃を装備し、代わりにすべての魚雷発射管が撤去された。改装工事は1941年4月5日に終わり、ワスマスはパルミラ環礁へ向けて出港、4月19日まで停泊したのち真珠湾に戻った。真珠湾には6月10日まで停泊し、その後西海岸に向かう。7月上旬にハワイに戻り、1941年の秋からは極東情勢の緊迫化に伴って艦隊は集中的な訓練を繰り返し行い、ワスマスもハワイ周辺の警備と掃海訓練を続けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ワスマス (駆逐艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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